殺害された長谷純
1997年5月27日、田井ノ畑小学校の特別学級児童、長谷純(土師)さんの頭部が児童が出講する時間前に門前で発見されました。 長谷君は手ノコで首を切られ、さらに切断された後、学校の前に放置され、朝になって生徒が発見するようになっていました。 口の中には赤ペンで書かれたメモが詰められており、犯人は「榊原」であることがわかる。 メモには、
「これはゲームの始まりだ…」と書かれていた。 止められるものなら止めてみろ、このバカ警察が…。 私は人が死ぬのをどうしても見たいんだ、殺人を犯すのはスリルなんだ。 血塗られた裁きが、私の長年の大きな苦悩のために必要なのだ」
さらに、ノートには英語もいくつか書かれていた。 「8004>
警察は、馳の殺害とメモのスタイルが、1960年代後半にサンフランシスコで起きたゾディアック殺人事件を彷彿とさせるとコメントした。
6月6日には、榊原が馳淳の殺害と首切りの責任を主張し、さらなる殺人を予告する手紙が神戸新聞に送られている。 この2通目の手紙は、6月3日の消印のある茶封筒で届けられ、返送先の住所も名前も書かれていなかった。 同封されていた3枚1400字の手紙は、やはり赤インクで書かれており、「榊原聖人」と読める6文字の名前が書かれていた。 8004>
「さあ、ゲームの始まりだ」で始まるその手紙には、「このゲームのために私は命をかけている…」と書かれていた。 捕まったら首吊りだろう…警察はもっと怒って粘り強く追及してほしい…。 殺してこそ、絶え間ない憎しみから解放され、平和を手に入れることができるのです。 人に苦痛を与えてこそ、自分の苦痛を和らげることができるのです。” この手紙はまた、日本の教育制度を非難し、「透明人間の私を形成した義務教育」と呼んだ。
最初のパニックで、日本のメディアは名前を「鬼婆」と誤報したが、犯人は自分がつけた名前だと主張した。 この誤報に激怒した榊原は、後に同局に「今後、私の名前を読み間違えたり、私の気分を害したりしたら、1週間に3人ずつ野菜を殺してやる……」と書き送った。 子供しか殺せないと思ったら大間違いだ “と。 (8004>
6月28日、馳氏殺害事件の容疑者として、14歳の中学生が逮捕された。 少年A」は逮捕直後、3月16日に10歳の少女、山下彩花(やましたあやか)ちゃんを殺害し、同日前後に他の3人の少女を暴行したことも自供しています。 3月16日の襲撃の後、彼は日記にこう書いている。 「今日は、人間のもろさを確認するために、神聖な実験をした。 少女がこちらを向いたので、ハンマーを振り下ろした。 何回か殴ったような気がするが、興奮して覚えていない。” 翌週の3月23日には、「今朝、母から『かわいそうに』と言われた。 襲われた女の子は死んでしまったようだ』って。 私が捕まる気配はない・・・。 バモイドキシン』さん、ありがとうございました・・・。 これからも私を守ってください” (「バモイド憑神」の意味や正体は不明)
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