米国でオフロードSUVの象徴といえば、トヨタFJ40ランドクルーザー、ウィリスジープ、フォードブロンコなどをイメージしがちであるが、日産パトロールもそのひとつ。 知る人ぞ知る、ランドローバー・ディフェンダーや三菱モンテロも含まれるかもしれません。 しかし、もし海外、特にオーストラリアの人にこのようなリストを作ってくれと頼んだら、もう1台、日産パトロールがトップに来るだろう。
日産パトロールとは
戦後日本の再建に多くの軍用ジープが貢献しました。 日本政府は、この四輪駆動車の有用性に着目し、日本の自動車メーカーに同様の車を作るように要請した。 トヨタのランドクルーザーや三菱のJシリーズジープは、こうして誕生したのです。
1960年には、最初のパトロールがアメリカに渡り、トヨタのFJ40と競合するようになります。 パトロールは、実はアメリカで初めて「日産」として販売された車だったのです。 しかし、パトロールは販売不振のため、1969年にアメリカから撤退した。 なぜ、そんなに売れなかったのか、理解に苦しむ。 60系パトロールは、FJ40と同様、掃除のしやすいビニールシートや折り畳み式のリアベンチシートを採用していた。 5811><4848>しかし、アメリカでは失敗したが、海外ではセンセーションを巻き起こした。<5811><3486>SUVはいかにセンセーションとなったか<8598><3173><1873><4848>ハードトップとソフトトップ、そしてピックアップも用意され、オーストラリアのシンプソン砂漠を最初に横断したのが60系日産パトロールである。 2速トランスファーケース、ナローボディ、アイドリングで砂丘を登れるほど低い1速ギアなど、60シリーズはオーストラリアの文化にその地位を確立したのである。 5811>
3代目160系Nissan Patrol、日本ではSafariとして販売されていましたが、同様に人気を博しました。 ディーゼルエンジンを搭載し、より洗練されたデザインで、4WDファンから高い評価を得た。 また、このディーゼルはラリーの歴史に名を残すことになった。
1985年のパリダカでは、クラス優勝、総合9位という成績を残し、ディーゼル車初のトップ10入りを果たしたのがパトロールだったのです。 三菱パジェロの方が優勢だったが、パトロールのラリー性能は絶大な人気を博した。 1986年、スペインで販売された車の2台に1台がパトロールであった。