1988年フランスGP

プロストがセナとフェラーリの2台を引き離し、ピケがベネットの2台を抜いて5位に。 マクラーレンのピットでは、燃料消費量の多さが心配されていたが(マシンの燃料計は、ホンダのテレメトリーが伝えるよりも少ない燃料消費量を示していた)、ロン・デニスは、フィールドに対する明らかな優位性からより保守的になることを教えるためなら、パーフェクトシーズンを犠牲にしてでもドライバーに燃料切れを起こす覚悟があったと伝えられている。 プロストはレース中盤のピットストップまでセナに2秒の差をつけ、ベルガーは22周目に早めのピットストップを行い、チームメイトのアルボレートが3位に浮上した。 両マクラーレンは前方で互いに競い合いながらも、1周あたり1秒のペースで後続を引き離し続けた。

セナはプロストより3周早くピットストップを行い、プロストがフロントホイールの固着で遅れたおかげでトップに立つことができたが、ミストラルストレートのトラフィック(ピケはセナがプロストにリードを奪われるのを至近距離で楽しんでいたと思われる)とギアボックストラブルでプロストに接近、61周目にシグネスコーナーでアレックス・カフィ、ピエルイジ・マルティーニとラップしオーバーテイクを許している。 一方、ベルガーはピットストップ中に再びアルボレートに抜かれ、マンセルは49周目にサスペンションのトラブルで7戦連続のリタイアとなった。 ピットに戻ったマンセルはウィリアムズのパフォーマンスにうんざりしながらサーキットを後にし、イタリアチームが1989年のアルボレートの獲得を見送ったことから、年末にチームを離れてフェラーリに移籍するのではという憶測がマスコミを賑わすことになった。

終盤、プロストはセナのギアボックストラブルが続く中、ギアを数段落としながら引き離した。 プロストは、セナのギアボックスのトラブルで何度もギアを落としながら、最終的にフランス人ドライバーから32秒近い差をつけてゴールしたが、リードラップの最後尾にいたアルボレートには35秒近い差をつけていた。 ベルガーは4位、ピケもレース後半にギアボックスのトラブルに見舞われ、最終ポイントはナニーニのベネトンが獲得した。 アルボレートがチームメイトの前でゴールしたのは、1987年のモナコGP以来のことだった。 レース中、アルボレートはほぼ完璧なバランスのマシンを手に入れ、一方ベルガーはミストラル終盤の高速コーナー、シニュで必要のない激しいアンダーステアを訴えた。

レースの最速ラップ、1分11秒台。プロストが45周目に記録した1分11秒737は、前年ホンダエンジンを搭載したウィリアムズのピケが記録した1分9秒548より2秒以上遅く、このシーズンからターボエンジンに課せられた制限の結果で、大きな違いは1kmになったミストラルストレートのスピードであった。 1987年、ターボ車(ホンダエンジン)の最速タイムはストレートで325km/hだった。 プロストにとっては、1981年のディジョン(グランプリ初勝利)、1983年のポールリカール(全長)に続く地元グランプリでの3勝目となった。 いずれもファクトリー・ルノーから参戦していた

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